ときどきダイアリー    

2015年
4月12日(日)
今年に入り、マグノリアに初めていらっしゃる方に、名前の由来を聞かれることがあります。
地域や場所の名前が多いなか、なぜ花の名前なのか確かに不思議に思う方もいらっしゃるでしょう。

12年前にある即興演劇の劇団に在籍していました。
お客様からお金を頂く舞台芸術の世界に短い期間携わり、人前で表現する勇気やお客さんからの応援のエネルギーや、
共に舞台を作ってきた仲間との深い繋がりや友情が得られ、喜びもたくさんありました。
でも演出家の意向や好みに合わない人や心身に事情があり舞台に立ちたくても立てない方々と、舞台に立てるメンバーとの間に
隔てが生じていきました。
また幼少期から心身が弱く、両親や祖母から優秀な姉と比べられ日々叱責されて育った私にとって、メンバーの内面に目を
向ける時間のない場は居場所とは感じられなくなり、今後のことを思い悩む日々が続きました。
そのようなときに出会い支えになったのが、サイコドラマ、ロールトレーニング、ダンスセラピー等の心理療法でした。
心理療法をしていくなかで、自分の怒りや悲しみの感情に気づき安全な場で開放し、両親や祖母の私への対応にも、
時代背景や生育歴を含めた深い事情があることを、体感し客観視できるようになってきました。

また詩人の小曽根俊子さんの以下の詩から、マグノリアの名前の由来のヒントを頂きました。以下紹介させていだだきます。

……………………………………………………

『花』

さあ涙をふいて
あなたが花におなりなさい
あなたの花を咲かせなさい
探しても探しても
あなたの望む花がないなら
自分がそれにおなりなさい

さあ涙をふいて
あなたが花におなりなさい
あなたの花を咲かせなさい
探しても探しても
あなたの望む花がないなら
自分がそれにおなりなさい
………………………………………………………………………………………………………

『人を愛する資格はね』

人を愛する資格はね  
はやく走れることじゃない
じょうずに話せることじゃない
人を愛する資格はね
心でものを聞けること
心でものが見えること

愛を伝える資格はね
人を信じる資格はね
お金を持ってることじゃない
名前が売れてることじゃない
いつか別れがやって来て
さよならをしたそのあとも
生きて いけると誓うこと
なみだ流したそのあとで
生きて いけると誓うこと

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詩人の小曽根俊子(おぞねとしこ)さんは、1954年2月17日 栃木県生れ、2005年3月23日、51歳で他界されました。
乳児期に脳性麻痺になり、自分の障がいの重さに苦しみ、自殺未遂や登校拒否と引きこもりを経験され、詩を書いて生きる力を
取り戻したそうです。

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もちろん相応しい対応が私たちの力量を超えていると感じられた方や、心身の状態が集団では耐えられないと感じられた方は
ご参加をお断りして連携先の医療・心理機関に紹介することもあり、申し訳ないと思うことも多くありました。
今は福祉や心理の学びを深めて、心身に何かご事情のある方々でも、少しでも多く受け入れられたらと思います。

マグノリア(白木蓮)の花びらは水平にどれも太陽に向かって咲いています。小さな不定期の勉強会で微力ではありますが、
ご参加頂いた方が、ご自身と一期一会の出会いの仲間のなかに花を見出し、温かい繋がりを感じ、一瞬でも笑顔になって帰っていって
ほしいと思います。

(Takako)

2013年
9月15日(日)
 時の流れは何と早いのだろうか。舞台公演をきっかけに私は人生の第二ステージを考えるようになった。そして、
その出発地点として信州安曇野を選んだ。日課となった早朝の散策は何より楽しい時間となった。 東京での仕事や
ライフワークが不満だったわけではない。むしろ充実していたと思う。しかし新たな一歩を踏み出せ、新天地へ向かえと
魂が叫んでいた。そして旅立ちから半年が過ぎた。広大な田園のあぜ道を歩く。朝日に照らされた常念岳がまぶしい。
蕎麦の白い花と稲穂の黄金色のコントラストが美しい。大空を見上げると、懐かしい声が聞こえた。
                    ◇◇◇     ◇◇◇
 安曇野行きのきっかけは福祉関係の研修所からの誘いだった。青年の社会への自立を促すサポートが仕事だ。しかし、
たび重なるアクシデントの中で考えた。私に今必要なことは、まず自分自身のケアと自立へのレッスンなのではないか、と。
一人暮らしの毎日の生活を見つめる。炊事や掃除洗濯、身の回りのこまごまとした雑用をひとつひとつ片づけていくこと。 
自立とは日常の様々な作業を積み重ねていくことだと、今更ながら感じている。そして、それらを丁寧に実行している自分を
心から労わることが成長への鍵となるのではないだろうか。
                      ◇◇◇     ◇◇◇
 その声はマックスの遺言・・・なのだと信じている。早春に天寿を全うしたマックスは、来日する度ごとに私を鼓舞し続けた。
「A Rigorous Course・・・」私の課題をするどく見抜かれていた。その声援に応えたい・・・でも精一杯頑張ろうと思うのだが、
踏ん張れない。体力と気力がついていかなかったのだ。そして安曇野で再び夢を見た。彼の力強いメッセージが今も心に残る。
そしてその声は安曇野の大空の下でもはっきりと聞こえた。「自分の力を信じて、前に出よ!」。
 今は静かに何か違うエネルギーが満ち始めている。安曇野の大自然のパワーなのだろうか。ゆっくりと進もうと思う。歩みは遅くとも
自分の力で何かを創造していこうと思う。新しい扉をようやく自分の手で開く時が来たのだ。
(Osamu)

2013年
2月17日(日)
 その女性の指先は小刻みに揺れていた。ペアになった時の自己紹介で「人前に出ると指が震えて止まらないのです。」と私の
視線を避けるように語った。「お辛いですよね・・・」その後の言葉が私には続かなかった。やがてファシリテーターが全員を集め
ドラマの主役を募った。長い沈黙が続いた。突然、ファシリテーターが彼女を指名した。「せっかく来たのだから、語りませんか?」
彼女は眼を見開いたまま、しばらく彫刻のように動かなくなった。
                      ◇◇◇     ◇◇◇
 心理劇と出会って18年目を迎える。様々な出会いがあり、切磋琢磨しあった同志とも言える仲間も増えた。試行錯誤で
独自の手法を生み出し実践している仲間もいる。自分の成長のために、それらのワークショップにお邪魔することもあるが、
その運営や進行の巧みさに舌を巻くことも多い。しかし、和やかな雰囲気で進行する集いの中でも、時折思わぬ場面に遭遇する
こともある。グループのモチベーションを高め、雰囲気を盛り上げることは確かに重要だ。けれどそこに落とし穴はないのだろうか。
                      ◇◇◇     ◇◇◇
 長い間、何度も繰り返し演じてきた。ドラマを創ることに慣れパフォーマンス的な見せ方の工夫も分かってくると、その力量を
向上させたくもなる。自分ではまだまだと思っていても、参加者からのお褒めの言葉は悪い気はしないし、それではもっとやろう・・・
と調子に乗ることも多い。私は傷つきたくないし、他者も決して傷つけてはならないと思っている。だからこそ、グループの進行を
任された瞬間から、自分自身の心に問いかける言葉がある。「今、私は独りよがりになってはいないだろうか?」と。
ドラマ創りは楽しいし勇気や希望も湧いてくる。グループに一体感が生まれた瞬間は感動的だ。その貴重な体験はすべて参加者
への丁寧な心遣いやサポートがあってこそ生まれるものだと思う。
(Osamu)


2012年
11月22日(木)
「ねぇ、舞台に立たないか?」その演出家はいつもの人懐っこい笑顔で誘ってきた。「えー!出演ですか?!」
しばらく絶句したが、気を取り直して、「やりましょう!」と答えた。体力の回復をめざして参加させてもらっていた
劇団からのオファーだった。自主トレも一年間近く頑張って来たんだし、その成果もみたい!苦しかった思いを
多くの人と分かち合いたい・・・桜の花びらが舞い散る歩道を歩きながら、ふとそんな思いが湧き起こった。
                      ◇◇◇     ◇◇◇
しかし舞台への道程は平坦ではなかった。稽古の中で明らかになったのは、私が私自身を守るために生み出してきた
自動的な心身の反応・・・癖とも言う存在だ。舞台上では役者同士の激しい台詞のバトルが展開する。仕事でも他者と
対峙する機会は多いが、舞台では次元の異なる緊張が走るのだ。リアリティを追求しよう、耳を澄ませ、自由になろう…
稽古の中で何度となく決意のこぶしを握りしめては無力感に包まれた。途方に暮れた頃、公演のチラシを手にした。
身震いがした。2012年覚醒…これはあらかじめ準備されていた成長へのハードルだと思った。
                     ◇◇◇     ◇◇◇
演じることは身体に内在する生命力を活性化させる…心理劇を始めてから、いつしかそう信じるようになった。繰り返し
ロールを演じる中で、自分の中に眠る生命エネルギーのようなものが目覚めるのだ。それが日常の中で自らを一歩前に
押し出していくパワーとなっていく。舞台は私がさらなる高みへと飛翔するジャンプ台なのだ。しかし課題は山済みだ。
疲れも出てきている。公演まで最後の追い込みとなった。私は覚醒するのか、覚醒できるか?そんな心のつぶやきが
繰り返し聞こえてくる。
(Osamu)

2012年
3月18日(日)
郷里が震災で大きな被害を覆った友人を励まそうとささやかな宴を催した。話を聞くと、生まれ育った町は壊滅的な被害を受け、
津波で幼馴染を亡くしたという。しばらく炊き出しのボランティアをしていたという友人は、いつもの変わらぬ穏やかな笑顔だったが、
その心中を察すれば救いがたい深い悲しみの海の中に漂っているような気がしてならなかった。
「どうしたら慰めになるのか…」私はそのことばかり考えていた。
                      ◇◇◇     ◇◇◇
カウンセリングを学んでいた頃に何度となく立ち往生したことがある。その時期の課題の多くは「人に寄り添う」ことの難しさだ。
いま思えばその当時のカウンセリング手法は来談者の悩みの解消と問題解決を通じて援助的関係を構築することを重視していた
ように思う。また時には、身体は心を表わすから寄り添ってその表情やしぐさから心を読み解こうなどと講師から言われる度に、
仲間同士で真顔で試したことを思い出す。何かテクニックをつかめれば上手くいくなどと知った風な軽口を叩いた事もあった。
あの頃は人に寄り添うどころか近づく事さえできていなかったとつくづく思う。
                     ◇◇◇     ◇◇◇
仕事や流行りの音楽の話など、軽いキャッチボールを繰り返しながら盃を傾けているとき、ふとマックスの言葉を思い出した。
「悲しみの中にいる人には、まず寄り添うことです。励ましはいらない。話を聞いているうちにその人自身がウォームアップします。
それをあなたは待つだけです。」・・・その瞬間、私は心理劇をやっていて本当に良かったと思った。心理劇を通じて多くの人と出会い、
そのご縁でマックスという巨匠に出会えたことを心から嬉しいと思った。「今日はなんだかほっとできた・・・」帰りがけの友人の言葉に
胸が熱くなった。
(Osamu)


2011年
12月1日(木)
夢を見た。200m走を駆け抜けゴールに勢い余って倒れ込む。仰向けになった身体は激しい呼吸を繰り返している。
天を仰ぐ視線の先には雲ひとつない青空が広がっている…まるでテレビドラマのワンシーンだが、いつもあやふやな私が、
「全力で走り切る」というような夢を見ることは珍しい。それは心がもっと挑戦しようと叫んでいるのだろうか。それとも、
人生の折り返し地点を過ぎ、ゴールに向かうことへの期待や不安などを暗示しているのだろうか。
                      ◇◇◇     ◇◇◇
ダイアリーの空白を心配してくれた人がいた。恐縮しながら、この1年あまりは本業に全力投球してきたので…と答えた。
事実、仕事を終え帰宅しても呆然として日常を振り返る余裕はなかった。福祉の現場は過酷だ。ハードな業務処理も負担だが、
精神的な健康度を保つことの難しさを常に感じている。幸いアルコールが苦手なため今のところは深酒にはまることもなく
過ごしているが、心身の健全さをどこまで保てるのか、綱渡りの日々は今日も続いている。
                     ◇◇◇      ◇◇◇ 
ダイアリーの再開を機に、あらためてマグノリアの活動を振り返ってみた。PTの自由な交流の場を作りたいという願いから
スタートして、サイコドラマをはじめ、様々な即興手法の研究と実践の場へと進化してきた。今は仲間同士のメンタルヘルス
の場にもなっている。今後も楽しむだけではなく、人と人の支援のあり方や繋がりについて考えていけたらいいなと思う。
そして自分の中に起きつつある変化には誤魔化さず正直に向き合おうと思っている。 
  (Osamu)


2010年
5月22日(土)
即興カニクラブの「大紅白戦」を観戦した。インプロをチーム対抗で競い合うこのシアタースポーツという
舞台パフォーマンスはなかなかエキサイティングだ。チームごとに繰り広げられるパフォーマンスに観客が
点数を出していき、最高得点を獲得したチームが優勝カップを手にするという紅白歌合戦のようなイベント
でもある。最初は演技を採点するなんていかがなものかと思っていた。しかし最近はひょっとしたら昨今の
うつ的閉塞感を看破するエネルギーになるのではないかなんて思ったりしている。
                     ◇◇◇      ◇◇◇               
競い合いはラウンドごとに行われる。司会者の軽快なトークに会場がドッと沸く。チーム名の紹介と共に
ステージに登場したメンバー4、5名が得意の手法でパフォーマンスを展開する。それを持ち点2点の観客と、
5点の特別審査員が採点を出していく。面白いのが特別審査委員の採点基準だ。審査員はそれぞれ
「こだわりの基準」がある。そのこだわりがステージ上で表現されたと感じられたら加点されるのだ。
「ロマンチックだったか?」「暴走していたか?」「興奮していたか?」などと即興の技術とはかけ離れた
こだわり方は、採点そのものを茶化しているかのようだ。
                   ◇◇◇      ◇◇◇
終了直後の打ち上げに参加させてもらった。カニクラブ主宰の吉田さんは言う。「採点は演技に対する
エールのようなものです。優劣を付けられていると思う中で本当に自発性は生まれるのでしょうか・・・。」
ふと、日頃の仕事を考えた。最近は実績だ、成果主義だなどという掛け声も大きくなってきた。その一方で、
何を評価すべきなのかは難しいという愚痴を聞かされたこともある。評価する者もされる者も、それなりに
困惑する世の中なのだ。PTでも舞台に立つときはやはり評価の高い演技をしたいという欲が出る。
そろそろ解放されたいと思う。「評価する・される」という呪縛からもう少し自由になりたいと思う。
                                                       (Osamu)

 2009年 
11月8日(日)
 久しぶりに朝の散策に出た。今ではすっかり足が馴染んだ遊歩道へと向かう。入り口となる階段の前に立つ。
深呼吸をして階段をゆっくりと上がる。痛めた膝を気にしながら登っていた夏の日が嘘のようだ。息を弾ませ
ながら丘の上に登りきると、多摩川の向こう側に調布の街並みが見える。遠くの薄曇りの中には高層ビル群が
望める。新宿周辺はいつも霞の中にあるようだ。目の前にあれば圧倒される高層ビルも、遠く離れてみれば霞の
中に溶け込み他の風景と見分けがつかないほどおぼろげだ。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 遠い霞の中の風景を眺めるように、これまでの様々な出会いを思い起こしている。そこにはユニークな個性達
との交流があった。共に笑い共に涙する有意義な体験にも恵まれた。自分の生き方を見つめ直す機会にも
遭遇した。プレイバックシアターやダンス、サイコドラマやインプロなどのリーダー達からも示唆に富んだメッセ
ージを多く受け取ることができた。それぞれが深い学びとなり多くの教訓が得られたことに感謝している。
 恩師とのご縁から関わりを持ったNPOでも貴重な出会いがあった。インドのコルカタにあるマザーテレサの施設
「死を待つ人の家」で5年に渡り奉仕活動をしている井上さんだ。世の中から見捨てられ死にゆく人々への奉仕
を通して、喜びのオーラを放ち続ける井上さんは真に「与えるものが受け取るもの」を体現されている人だ。
                   ◇◇◇      ◇◇◇
 ふと、この5年間の歩みを振り返った。「ケアする人々のケアに貢献したい・・・」漠然としたそんな思いが様々な
学びへと駆り立てた。理想の姿を追い求めて、そのためのスキルアップにまい進し続けてきたはずだ。そして今、
自分自身へ静かに問いかけている。
私は何を与えて何を受け取ってきたのだろうか。
 
 遊歩道を折り返して再び丘の上に立ち多摩川を眺めた。頬に風を受ける。その冷たさは季節が移り変わった
ことを感じさせた。水面の煌めきが眩しい。萎えていた気持ちが少し立ち上がった気がした。
                                                          (Osamu)

3月29日(日)
 暖かい日差しに誘われて三浦半島の山々を訪れた。潮風の香る駅を降り山裾野の道を入ると深い森の道が続いていた。
三浦の山々は標高はあまりないがアップダウンが続くので、ちょっとしたトレッキングコースのようだ。ぬかるみに足をとられ
ながら、一歩一歩を慎重に踏みしめながら登る。このゆっくりとした歩みが私は好きだ。尾根沿いに開けた公園に出る。
突然視界が開け真っ青な海と大空が広がった。遠くにビルや港の船が霞んで小さく見えている。正午近くになって
昼食をとった。お茶で喉を潤しながらぼんやりと海をながめていると、ふとサイコドラマ合宿の体験が蘇ってくる。
                   ◇◇◇      ◇◇◇
 夢を見ているかのようだ。トランペットの響き、トロンボーンのチューニングの音色、そこにはブラスバンド部に所属
していた中学生の私がいる。音楽室脇には部室と呼ばれていた楽器置き場があった。椅子を動かし楽器ケースを
待ち上げて何かを探している私・・・。探し物は何だろう。マウスピース?、楽譜?譜面台?いや違う、もっと重要な
ものだ。それはなかなか見つからない。そうだ、あれからずっと探し続けていたのだ。そしてドラマは探し物をしている
その瞬間から始まった。
                 ◇◇◇      ◇◇◇
 ドラマは赤い糸で結ばれている。私には直接関わりのない他者のドラマを眺めているだけで、自分の心の奥深くに
内在しているドラマのエッセンスがむっくりと起き上がってくることがある。ましてやそれがインパクトのある出来事なら
なおさらだ。そこに展開された私のドラマは、私があの薄暗いブラスバンドの部室で無くした"もの”、いや、置き去りにした
“何か”を取り戻させてくれた。その“何か”をどう表現しようか、いやどう呼ぼうとチープになる。しかしそれはとてつもなく
長く抱えていた内的な葛藤であることは間違いない。私が辿ったドラマは、「私に自尊心と勇気を取り戻させてくれた・・・」
ひとまずそう表現しておこう。
                                                          (Osamu)

10月28日(火)
 インプロのワークショップで「解決社長」をやった。それは3,4名でグループを作り社長と社員の役を決め、仕事で発生
したトラブルを社長のアイデアで上手く切り抜けるというゲームだ。このロール・プレイはなかなか味わい深いものがある。
 社長には決め台詞がある。「それはちょうど良い!」だ。どんな難問奇問がふって沸いても、最初の第一声はとにかく
「それはちょうど良い!」。そのセリフを言ってから、問題の解決策を言葉にするのだ。状況をチャンスと認定したからには
どうあっても肯定的な解決策を言わなければならなくなる。必死になって何とかアイデアを搾り出そうとする社長と、ハラハラ
しながらもアイデアをじっと待つ社員・・・このゲームはやればやるほど皆がハイテンションになって大いに盛り上がる。
                 ◇◇◇      ◇◇◇
 進行役の吉田敦さんがまた良い雰囲気を作り出す。彼からはいつも「Yes・And」の精神が溢れ出ている。振り返れば、
毎日は思いがけない出来事の連続である。息を呑むような問題が目の前に立ちはだかっても、「それはちょうど良い!」と
まず対応できたら、どんな変化が訪れるのだろうか。
 そう思っているうちにさっそく機会が訪れた。ある会議で不愉快なスピーチを聞かされて気分が落ち込みかけたその時、
「それはちょうど良い!」とつぶやいてみた。発した瞬間にスイッチが入った。日差しが差し込むように明るい気分になった。
                 ◇◇◇      ◇◇◇
 いつまでもしなやかさを持ち続けたいと思う。荒れ狂う嵐のように衝撃的な場面に遭遇しても、身を屈めじっと絶える
のではなく、笑顔とともに軽やかに踊り続けるダンサーのように、しなやかでありたいと思う。そのために明日も「NO!」
ではなく「YES!」という私のあり方を模索してみよう。何故なら状況を肯定することは自分の中の対応力を肯定することに
繋がるのだから。
 今日も職場は慌しく依頼やらクレームやらの大波が打ち寄せてくる。「それは無理・・・」おっといけない・・・まず第一声は
楽しげに軽やかにいってみよう!「それはちょうど良い!」と。
                                                          (Osamu)

8月10日(日)
 熱風のような照り返しを受けながら路上を歩いていた。日差しから逃れようと樹々を探す。エアコンで冷えきった
はずの身体から汗が流れ落ちてくる。突然、眼の前を汗だくの子ども達が走り過ぎていった。公園の中程にある
プールからは子ども達の歓声が響いている。水しぶきが霧となって風に吹かれてきた。頬や腕に冷たい霧が降り
かかる。いつまでも止むことのない蝉しぐれ・・・どこか懐かしい光景に眼を細めていると意識は時空を越えて旅立っ
て行く。遠い夏の日の思い出が鮮やかによみがえる。
 照りつける太陽の下で、庭の草花へ楽しげに水を撒く姉の姿が見える。傍らの猫は大きなあくびをして眠そうだ。
木陰でくつろぐ母も微笑んでいる。そして私は無邪気に裸になって水遊びに夢中だ。バケツの中のスイカ、蚊取り
線香、ひまわりの花・・・風景はストップモーションのように現れては消えていく。
                 ◇◇◇      ◇◇◇
 サイコドラマのスパイラルは実に巧みだ。現在の問題から近い過去へ焦点を当てる。そしてさらに未清算なまま
取り残してきた過去へのつながりを探っていくのだ。最初の場面はごく最近の風景だ。あるグループの中での
ちょっとした出来事を振り返ることからスタートする。ディレクターはその場にいた様々な人物を登場させる。
そしてその中のキーマンからのメッセージを再生する。これは実際には語られていない声だ。「大人の対応で
いてほしい・・・」「信頼しているからね・・・」意外な言葉に自分でも驚いた。けれど、確かにそのメッセージはそこに
あったのだと思う。私が他者から受け取るメッセージは、私にとってどのような意味があるのだろうか。
混沌とした想いの中でやがて舞台は10代の頃の世界へと飛翔する。最後にたどり着いたシーンは家族の輪にいる
自分だ。実際に立ってみて初めて気がついた。そうだ、ここからすべてが始まった。ここが私の原点なのだと。
                 ◇◇◇      ◇◇◇
 バケツに汲んだ水を柄杓ですくい、思うがままに水を撒くことが好きだった。水道の蛇口でも水をよく飛ばした。
色とりどりの草花に水を与えることも好きだった。水しぶきは幼い頃の夏の思い出の象徴である。私が家族の
つながりの中で、また様々な人間関係の中で水しぶきのように発し続けてきたもの・・・それは生きる切り札として
私が演出しようと試みたものなのかも知れない。それならば、好きに使うこともできるし、あっさりと捨て去ることも
可能なのだ。 夏は思い出の宝庫だと思う。心に刻まれた様々な夏の風景は、揺らめく水面に映し出されるように
いつまでも淡くまぶしい。
                                                         (Osamu)

5月12日(月)
 雨上がりの朝、ほのかな甘い香りにふと足を止めた。見上げれば少し雲がかかった青空の中に真紅の薔薇が
風に揺れていた。若葉の緑もまた目が覚めるほど眩しく輝いている。このところの天候不順で冬に戻ってしまった
かのような肌寒さが続いているが、多摩丘陵の町並みや杜の木々は鮮やかな色彩に包まれている。様々な色と
出会うたびに私の気分は高く引き上げられていく。その日は何か心躍らせる出会いが待っているような気がしていた。
                 ◇◇◇      ◇◇◇
 サイコドラマのトレーニングで、「過去の私と現在の私」という彫刻を作ってみた。私の心の中では過去がモノクロで、
現在がカラーというイメージが出来上がっていた。彫刻は人やモノを使って気持ちや心象風景を象徴的に表現する
技法だ。まず私の役を選びグレーのジャケットを着せイスに座らせる。もう一人を選び今度は立たせてオレンジの
ジャケットを着せた。心の中でそれぞれを「モノクロマン」「カラーマン」と名づけた。モノクロマンは後ろに、カラーマンは
手前に出させて立体感もつけた。そしてモノクロマンには「見えない、何も見えないよ」と弱々しくつぶやかせ、
カラーマンには「見える、見えるぞ!」と力強いセリフをつけた。その瞬間、心の中で何かが激しくスパークした。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 サイコドラマには様々な技法があるが、自分の心の在り様を彫刻として表現するこの方法はシンプルだがとても
パワフルだ。人は様々な経験を通じて成長し変化する。しかし残念なことに私は長い間その事実を受け止めることが
できなかったようだ。 継続は確かに力になる。ここ数年のディレクター・トレーニングは、日常の場でもリーダーシップ
を発揮する機会を作り出し、私の中に自分を信じるを力を生み出してきたのだと思う。サイコドラマは人を信じる
ところから、限りなく肯定的に捉えるところから始まるという。カラーマンは私の成長の痕跡と溢れるようなパワー
を見せてくれた。J.L.モレノやマックス氏が人間の可能性をどこまでも信じたように、私も自分自身の可能性を
どこまでも信じていこうと思う。
                                                          (Osamu)
2008年
3月30日(日)
 久しぶりに家の近くにある森の中の遊歩道を歩いた。ようやく春が私に訪れたかのような清清しさを感じた。
日差しの眩しさ、温かさがとても新鮮に映る。ぎこちない歩みがどこか滑稽で口元が緩んだ。今この瞬間に、
一歩一歩を確かめ力を込めて足を踏み出す。足裏が土の中に少し沈み込んでいく感覚が心地よい。
 体調を崩してから半年が過ぎた。身体に漠然とした不安を抱えながらの日々は精神的にも引きこもる結果に
なったが、やがて訪れた「今この瞬間」がすべてなのだと思う。この半年間の病との格闘は意味深い多くの
教訓を私に与えた。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 サイコドラマのトレーニングの最中は不思議と痛みは止まった。緊張感からか、それとも集中した成果なの
だろうか。そして今期の最終日にはようやくディレクター・トレーニングの機会を得た。トレーニングではメンバー
が順番にディレクター体験をする。主役もメンバーから選ばれる。主役が個人の自発性で決まることはトレーニング
でも同じだ。だから一番手のディレクターはウォームアップにも心を配るが、この日の私は二番手であったため
主役選びからのスタートになった。ディレクターとして他者のドラマを共に作り上げていく過程は実に興味深い。
采配を振るうことで、日常の生活では気づかなかった自己の特性や傾向に気づくことも多い。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 ディレクターの役目は、主役が心の中で抑制されたり意識できなかった問題を、ドラマの中で自由に表現
できるように、様々な角度から演出を施すことにある。また最後にはグループに受け入れられることも重要な
体験となる。そのためには表現されたものがグループにも理解できるように導かなければならない。常々思う
ことだが、このグループから承認されるという体験が、主役の自尊心を高め、その後の人生における危機への
しなやかな対応力を生み出すのではないだろうか。
 この一年間のトレーニングでは様々なドラマを体験した。メンバーとしてその場にいること、補助自我として
演技すること等が深い学びとなり、それが苦境に立たされた私自身を力強く前に押し出す経験となった。
 私の歩みはまだ少しぎこちなさを残している。けれど「今この瞬間」に前へと進んでいけることが何より嬉しい。
                                                           (Osamu)

8月25日(月)
 声を出したいと思った。朗読でもなくカラオケでもない。グループで声を合わせたり気軽に歌ったりすることが
できないかなと思っていた。そんな願いが伝わったのかも知れない。この夏は「歌うカニ」というワークショップ
に出会った。 「歌うカニ」とは即興カニクラブの特別企画で、以前好評だったことからリクエストに応える形で
8月に開催を決めたという。 そのワークショップでは、‘歌う’あるいは‘声に出す’というのがポイントで、
その点にフォーカスした様々なゲームを体験した。例えばしりとりを歌でつないでいく「しりとり歌」や歌いながら
ストーリーを展開させる「メロディ連想」という具合に、音の重なりをグループで楽しんでいくというプロセスは
これまで体験しなかった新鮮な刺激があった。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 忙しさに足元をすくわれない様に過ごすことが精一杯の毎日だ。そういえば、最近は歌うということもめっきり
少なくなった。意識しないといつの間にか寡黙になっている自分に気づく。即興の芝居をやっていると公言して
いることもあるので、日頃から声出しは心がけてはいる。基礎訓練としての発声練習はもちろん大切だ。しかし、
今の私に必要なレッスンは、コミュニケーションを声で作り上げることなのだと思う。 それは、グループの中で
人間としての存在を感じさせる「声」なのではないかと思うのだ。
そのためには何が必要なのだろうか。とりあえず、居心地の良い雰囲気の中で自分の声に出会いたいと思った。
                  ◇◇◇      ◇◇◇   
 「ウタカタの歌作り」というワークがとても愉快だった。まずメンバー各自がタイトル向けの言葉を形容詞と
名詞で書き出す。その二種類の言葉をグループ全体でそれぞれ選びタイトル化する。次にそのタイトルの
イメージで各自が作詞、そして発表するグループ内で持ち寄り相談しながら即興の歌に仕上げる。最後に
グループでパフォーマンスする(歌う)というプロセスだ。
 難しく考えずに思いつきでよいのだ。歌作りを思いきり楽しむという雰囲気が心地よい。気軽な気持ちで
参加できたことが何より嬉しかった。声のシャワーを浴びた瞬間に幼い日の懐かしい風景が浮かんだ。
                                                        (Osamu)

4月22日(日)
 暦が3月から4月へと移った。春の息吹を感じたくて植物園を訪れた。ここは様々な種類の可憐な花々に
出逢える憩いの園だ。わずかな時の流れが褐色の木々に淡い朱色や黄色の花々を出現させていた。
瑞々しい若葉もまぶしく輝いている。小高い丘の上に立って園内を見渡して見る。そこには青空に映える
春色の見事なコントラストがあった。
 この時期は、私達の日常生活も環境が大きく変化する。終わりと始まりが交錯し、別れがあれば新しい
出会いもある。そんな中で開催されたプレイバックシアター・ワークショップのテーマは「変化、変容」
と題された。一人の参加者から提案されたものだが、その思いは参加者の皆が共有しているような気がした。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 プレイバックシアターのワークショップでは、役に入るための表現のトレーニングをさりげなく取り入れる
ことがある。それは参加者個々の自発的な表現を舞台劇に発展させるためである。個人の体験を即興劇
として仕上げるためには、役に入ることと語り手の話を物語として構成していく理解力が必要なのである。
それは難しい作業ではあるが、参加者が舞台劇へと移行するプロセスを安全に、且つ楽しめるように
工夫するのがファシリテーターの役目といえるだろう。そのひとつの題材として神話や童話を活用する
場合がある。 この日の参加者の状況や内在するテーマから、今回はアイルランド出身の劇作家
オスカー・ワイルドを取り上げた。作品の中でも有名な童話「幸福な王子」と小説「ドリアン・グレーの肖像」
をエクササイズとしたが、それが流れの中で「変容」のテーマに相応しい展開になったようだ。 
貧しい町の人々に身を削り与え続けた王子と美を貪り続けたドリアン、死して王子は心臓(ハート)を残し
天国に行き、ドリアンは指輪(物質)を残す。このワークは物語のコントラストを浮き彫りにさせ、
「変容=トランスフォーメーション」へといざなうプロセスとなった。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 神話や童話など多くの人々により語り継がれてきた物語には、人類の英知や普遍的なメッセージが
内在している。そこには人が幸福に生きていくための真実や必要な智恵が詰まっている。私達が体験する
出来事も語り継がれるべき物語りである。楽しい思い出だけではなく、人生や社会における悲しい体験や
心の痛みも、安心して語れる場がプレイバックシアターなのであり、ときには現代を生きる私達にとって
耳を傾ける必要があるのかもしれない。
                                                        ( Takako)
2007年
2月18日(日)
 昨夜のインプロ・ワークショップは歓声に包まれとても楽しい時間となった。 インプロでは息をつく間もないほどの
素早いテンポで即興のゲームが展開される。あたふたと応えたり演じたりするのが精一杯で体裁を繕う余裕などはない。
 言葉に詰まったり間違えたりすれば、やはり少々恥ずかしい思いはするのだが、終わってみるとその場は不思議な
温かさと一体感で満たされていた。
 あっという間に過ぎ去った昨夜のワークショップを振り返りながら、改めて「Yes and」の意味を考えている。
 「他人のアイデアを否定しない」というのが、インプロのただひとつの価値観であると言われている。その上で自分の
アイデアを提案する「Yes and」という考え方が様々なゲームの中に生きている。 
 「Yes and」・・・会話にすれば、「そうだよね!そして・・・」というような表現になるのだろうか。実際のやり取りでは、
相手からのオファー(提案・働きかけ)を否定せず受け取り、その上で、相手に自分のオファーを返していくというプロセス
が繰り返される。理屈は単純だが、実際の現場でこれを実践するのはとても難しい。
 インプロのゲームの中では、多くの人が一度や二度は言葉や動作が止まり、「頭の中が真っ白になる」という体験を
するという。それは長年ゲームに慣れ親しんだ人も同様らしい。 しかし、そこはゲームの気軽さなのだろう、大概の場合、
その場は笑いの渦となり大いに盛り上がる。それは失敗を楽しもうとする雰囲気がグループの中にできているからだろう。
 それにしても、あの一瞬の間に起こる「真っ白体験」はどこからくるのだろうか。
                   ◇◇◇      ◇◇◇
 誰にでも性格や得手不得手があるから一概には言えないだろうが、私の場合はやはり「アイデアを判断する」という
観念が強いのかも知れない。 日頃から自分には柔軟性があると思っていたが、インプロに出会ってからというもの、
私の中に「ある種の融通の利かなさ」を発見し戸惑いを覚えている。 常々「他人のアイデアを否定しないぞ」と言い
聞かせてはいるのだが、ゲームに熱中してくると無意識に「いや、違う」というような否定的な思いが浮上するのだ。 
実際にその種の発言をしてハッと我に返ることもあった。
 もしかしたら、それは仕事上の習慣からきているのかも知れない。日常の職場では「出されたアイデアは間違いがないか
判断する」という観念が主流なのだ。 相違点を明確にしたり、適切な処理か等、常に判断することが求められているが、
その習慣が災いしているのかも知れない。
                   ◇◇◇      ◇◇◇
 さて、このハードルはどうクリアしようか・・・。そこで、原点に帰ることにした。 ワークショップで何を創り出そうとするのか?
と自分に問いかけてみる。「グループの一体感」「創造性、自発性を育む」「スキルアップ」「柔軟性」・・・思い浮かぶままに
言葉にしてみると、そこに繋がれた一本の線が見えてきた。それが「Yes and」だ。 そもそも個人の自由な発想と、他者を
受け止め理解しようとすることは大きな矛盾とも思えるが、それを同時に成立させるルールが「Yes and」なのだ。
 「そうだよね・・・」と相手をまず受け入れること、そこから集団の中に恐れが消えて安心感や共有感が生まれ、「そして・・・」
というアイデア、創造性や自発性が個人の中に芽生えるのだ。
 長年の習慣は「Yes and」の繰り返しの中で溶かされていくはずだ。しばらくはこの「真っ白体験」を楽しもうと思う。
                                                             (Osamu)

12月6日(水)
  鬼怒川温泉で開催された日本心理劇学会の第12回大会に参加した。「臨床・教育・矯正・訓練における
アクションメソッドの広がり」というテーマの中で、様々なワークショップや実践発表、研究発表などが用意され、
まさに専門分野を越えた広がりと、取り組みの多様性を確認した大会であった。
  基調講演ではアクションメソッドの発展の歴史が語られた。 講演者によれば、医療現場では長年に渡り、
スポーツや演劇などを取り入れた活動療法が盛んに行われてきたという。 確かに病いの中で苦しむ人や
障害のある子供やお年寄りには言葉で伝えようとしても理解が難しい場合があるだろう。 アクションメソッドの
発展の歴史は、言語を超えた手法の試行錯誤による実践の歴史であったのだろうと思う。
 「アクションは物事の考える幅を広げるのです・・・。」 自らの実践経験に基づく講演者の言葉は、アクション
メソッドへの大きな期待と今後の可能性を深く感じさせてくれた。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 大会に先立って開かれた研修会では「ソシオドラマ」に参加した。 個人の問題ではなく、社会的な問題や
グループにおける課題などに焦点を当てるこの手法は、グループの活性化などを意図する教育的なアプローチ
であるという。 まず、サイコドラマなどと同様にお互いが知り合い、グループに慣れるために様々なエクササイズ
を行った。そして全体的なウォーミングアップの後に、グループにおけるテーマの提案と選択を行なった。
 テーマを提案する過程で様々な登場人物が語られる。政治家、外国人、高校生、宗教家、ホームレスなど、
時代をリアルに象徴する話題性の高いキャラクターが登場した。 それぞれのキャラクターが、それぞれの立場で
主張する姿は、現代社会が抱える複雑で多様な問題を浮き彫りにするかのようだった。個々のグループはやがて
中央で他のグループと出会い、エネルギーに溢れたドラマが展開されていった。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 大会閉会の前には、大会テーマに基づく、学会理事やセラピストによるシンポジウムが開催された。印象的だった
のは、「アクションを使って体感的に理解する」ことの重要性が語られたことだ。 脳の進化のプロセスによれば、
「言語」は後発的に発達したものだという。人はまず体感的感覚から物事を理解するというのだ。
 手元の新聞に思わず眼がいった。「引きこもりや児童虐待、自殺、いじめ問題などで、家族や地域、社会の
有り方が問われる昨今・・・」との記事があった。「アクションメソッド」が広く社会に普及される日を夢見たいと思った。
                                                         ( Takako)

10月10日(火)
 他者の立会いのもとで自己の衝動に従い動いていく「オーセンティック・ムーブメント」という手法を体験した。
ここでは「待つこと」がキーワードである。眼を閉じ心の深部へと意識を向け自己に内在する衝動の発生を待つ
のである。初対面の人同士が多いのであろう。また初めてこの手法に接する人が多いということもあるだろう。
会場には少々張り詰めた緊張感があった。しかし、講師のジョーン・ウィッティグさんが笑顔で語り出すと
穏やかな雰囲気がグループを包み込んだ。 
ジョーンさんはニューヨーク市において、主に摂食障害を専門とした個人クリニックを開業しているセラピストである。 
芸術療法の国際会議の中で開かれたこのワークショップは、ユング心理学における個人的無意識、集合的無意識への
アプローチでもあるという。自己の純粋な意識に向き合うということもテーマとなっているようだ。
それは私にとってはちょっとスリリングな冒険的ムーブメントとなった。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 簡単なオリエンテーションの後、近くの人とペアになり、それぞれ15分づつ、「動く人」と「見守る人」という
関係性を築く。最初に「動く人」となった私は目を閉じ衝動が生まれる瞬間を静かに待った。「見守る人」の
視線はもちろん意識の中にある。様々な雑念が交差する。意識を集中し雑念を振り払うプロセスは、まるで
座禅修行のような気分にさせる。
ふと衝動への想いがよぎる。衝動とは何だろうか。「目的や理由を考えず、発作的に・・・」というのが一般的
理解だろう。何が作用するのだろうか。心が感情に支配され突き上げるような衝動を覚えることがあるが、
今、ここでムーブメントとしての衝動ははたして生まれるのだろうか・・・。いつしか「見守る人」の存在が意識
から遠のいていく。意識が少しずつ全身の細胞に広がり浸透していくような感覚だ。やがて静かに沸き起こる
ように衝動が生まれた。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 世界には様々なセラピーがあるが、そこには共通する原則があるように思う。それはセラピスト自らが自己
洞察への旅に出ることではないだろうか。ジョーンさんもまたそうした自己の本質的な探求を提案する。
「オーセンティック・ムーブメント」とは、自己の無意識に問いかけ、内なる衝動を呼び起こす。それは空想と
創造のプロセスであり、まるで私とは何かという普遍的な命題へと導いていくようだった。
 衝動へのエネルギーは私の中に確かに存在した。おそらくその衝動とは私自身が追い求めている本質的な
表現欲求=「ムーブメント」そのものだったに違いない。
                                                      ( Takako)
8月30日(水)
 マックス・クレイトン氏のサイコドラマ・ワークショップに今年も参加させて頂いた。会場が病院であるということ、
そして入院あるいは通院されている患者さんが主な対象ということもあって、その場はお互いが気遣うケアフル
な雰囲気に満ちていた。今年もまた様々な人と出会った。それぞれの人生や出来事が分かち合われ、その場に
相応しいシーンが再現されていく。ドラマは参加者のちょっとした自発性で生まれ、やがて少しずつ成長していく。
それを丁寧に育んでいくのがマックス流である。主役の手を取りながらマックスは話しかける。「あなたのパワーが
溢れていた頃を見てみましょう。」少しのためらいと沈黙の後、主役はゆっくりと語り始めた。 
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 マックスの偉大さはケアする〜ケアされるという固定観念をひっくり返してくれることだ。患者さんから語られる
様々なドラマは、これまでの人生を振り返ったり、家族との営み等ごく普通の日常生活の断片を再現したものが
多い。それは健常者として生きている私達となんら変わらないドラマである。しかしその場面のひとつひとつの
展開から伝わってくるメッセージは繊細で柔らかく、ほのぼのとした温かさで満ちている。そこには日頃の慌しさ
の中で私達が忘れがちな「生きることへの愛おしさ」が溢れていた。そして私は出来事に翻弄され一喜一憂
しがちな自分自身の日常を振り返っていた。 
 マックスの視線は人の心情や喜怒哀楽を超えたところにあるのかも知れない。憂いに沈む人にも朗らかな
笑顔の人にも、変わらぬ眼差しで穏やかに語りかける。そこには様々な境遇の中で生きる人々への深い慈しみに
満ちている。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 患者さん、病院スタッフ、そしてサポーターが織り成すサイコドラマは、優しくどこか懐かしい香りがした。サポーター
としての私の役割は、必ずしも合格点ではなかったかも知れない。ときには慎重になりすぎて動けなくなるという
場面もあった。しかしマックスは「それもOKだよ」と言うように大きく頷く。「上手くできなかったと嘆くことはないよ、
誠実に寄り添おうとする気持ちがドラマには大切なんだ。」そんなマックスの声が聞こえてくるようだ。
                                                        (Osamu)

6月20日(火)
 4月より職場が変わり仕事も一変して慌しい毎日を過ごしている。その渦中でのサイコドラマの合宿ワークショップは、
環境の変化にたいする戸惑いと新たなリズムを刻もうと、必死にもがいていた私の心情にシンクロする体験となった。
 私がサイコドラマに参加するときは、特に解決すべき問題がないかぎり、あらかじめこの体験を語ってみようとか、
演じてもらおう等とはあまり考えないようにしている。サイコドラマは心理療法という側面が強いから、どこかで癒され
たいという気持ちは確かにある。しかし実際に始まるとまずグループでのコミニュケーションを楽しもうとするラフな気持ち
が強くなる。 今回は主宰者の立場もあるから、まず参加者がリラックスしてサイコドラマを楽しんでもらいたいという
願いが強かった。 だからそこで演じられた他者のドラマが、その時の自分の心理や境遇に合わせたかのような展開に
なったときなどは、驚きと共に不思議な感覚に包まれる。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 毎回かならず起きているわけではないが、初めて体験する他者のドラマが、どうして自分の心理や境遇にチューニング
されたかのような展開になるのだろうか。モレノは「テレ〜共感」と表現しているが、そこにはグループのソシオメトリーに
基づく意識、または心理的な相互作用が成立するという。それはドラマを展開していく過程の中で、主役や補助自我などの
役割を担うグループメンバー内に心理的ネットワークが形成され、お互いに深く影響し合うことから生まれる現象だとされて
いる。ドラマが進行していく中で、主役が発する台詞のひとことやその身体表現が、自分の遠い過去の記憶や思い出を
呼び起こすこともあるが、現在の自分に起きている出来事、或いは心情を象徴的に伝えてくれたことは興味深い。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 今回の合宿ワークショップでは様々なドラマが演じられた。そのドラマを通して贈られたメッセージは今の私にとっては
有難く貴重な体験だ。「環境の変化は新しい学びの機会でもある」「自分を正直に見つめるには少し勇気も必要だ」・・・
言葉にすると少々説教臭い格言のようになるのは否めないが、新しい環境にどのように対応しようかと苦しんでいた
状況の中では、天の声のような気さえした。ドラマに答えを求めていた訳ではない。また意識的に意味づけしようとした
訳でもない。ただその場に係わる過程で、様々なメッセージが心の奥底に響いてきたのだ。
 グループの解散後のコーヒーブレイク中にまたメッセージが降りてきた。「もう大丈夫だ、さあ、次のステージへ進もう」
ふと気がついたら掌を空に掲げて大きな深呼吸をしていた。
                                                                 (Osamu)

4月16日(日)
 春まだ遠い安曇野を訪れた。縁あって姉が移住した安曇野は私にとっても心の故郷のような場になった。 
姉が暮らす家の庭先からは、まだ雪深い常念岳が目の前に迫る。 真っ青な大空とまだ休眠中の茶色い田畑が
広がる風景は心和むものがある。 松本市内の桜はようやく開花したが、ここ安曇野はまだ蕾のままだ。 
日差しは眩しく暖かいがマフラーが手放せない。まだ冬のなごりがあるのか吹く風は思いの外冷たかった。 
今夜は友人宅に世話になる。「内風呂より温泉が温まるよ・・・」。いつものひと言で、近くの旅館の湯船に浸かった。
思わずため息が漏れる。眼を閉じ徐々に温まっていく身体を感じてみる。冷えて緊張していた手足から心臓に向かって
身体がゆっくりと緩んでいくようだ。温泉は身も心も蕩けるような気分にさせてくれる。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 蕩けるような気分…これまで私が探し続けてきた体験がここにある。怒りや悲しみのどろどろした感情がサラサラに
溶けて和らいでいく瞬間だ。サイコドラマやプレイバックシアターなど様々なアクションメソッドを学ぶ理由のひとつには、
凝り固まった感情を蕩けさせたいという願いがあったのだと思う。 この安曇野の風景や大地のエネルギーには
圧倒的なパワーがある。装う必要もなくすべてを無条件に受けとめてくれる懐の深さがある。その大きさの前には
私が挑戦する試みなど到底敵わないもののように映る。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 温泉から上がったら外はすっかり暗くなっていた。 夢見心地で山麓線をひとり歩いていく。 火照った頬を夜風が
撫でていく。「都会に住む人にも蕩ける様な場が必要だよ・・・」思わずそんなつぶやきが口に出た。 頷きながら
マグノリアで出会う人々のことを想う。こだわり続けて活動している理由を発見したような気がした。 マグノリアで
蕩けるような体験をして欲しいと思う。
 心和む風景や温泉に匹敵する「蕩ける気分」はグループの中で生み出すことが可能だと信じている。 なぜなら
私達人間も自然の営みの一部であると思うからだ。お互いの心と心は見えない糸で繋がっている。その繋がりを
確かに感じ取ることができれば、きっと互いに慰められ癒されていくのだと思う。
 暗闇に道を見失いかけて一瞬立ち止まる。煌く星々を見つめながら、この道できっと間違いないと頷いていた。
                                                           (Osamu)    

3月26日(日)
 公園に向かうなだらかな坂道沿いの桜並木は、今年も鮮やかな桜の花のトンネルを作った。この地に移り
住んで以来、このシーズンのお花見はちょっとした楽しみとなっている。 住宅街の角を曲がるとその桜のトン
ネルは突然と出現する。子供づれのファミリーやお年寄りや若いカップルなどが一瞬足を止め、咲き誇るような
桜の花々に見入っていた。 淡いピンク色をした花々を見上げる。花びらの隙間から眩しい陽の光が差し込ん
でくる。大きく深呼吸をしてみる。昨日までの疲れが吐き出されるかのようだ。新しい空気と共に桜の息吹きが
押し寄せてくる。桜のほんのり甘い香りに包まれていると、桜の生命そのものに抱かれているように思えてくる。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 人生の夢や目標を叶えたり、その達成感を得ることを「花が咲く」という表現で語ることがあるが、残念ながら
私にはまだその経験がないように思う。大器晩成だといわれたかつての占いを頑なに信じている私にとって、
「花が咲く」時期はまだ果てしなく未来だと思っていた。
 高校時代の同級生が亡くなり二ヶ月が経った。豪快に呑みいつも笑顔で語リかけてくれた彼の面影を思い
出す度に、人生は有限なのだということを思い知らされる。人生の半ばで倒れさぞかし無念だろう等と言う旧友も
いるが、果たしてそれは彼にとっての真実なのだろうか。 仕事に奮闘し三人のお子さんを育て上げた彼は、
彼なりの人生で大きな花を咲かせていたのではないかと私は思う。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 公園の展望台から桜の花々に包まれた街並みを見下ろす。今は亡き友人の冥福を祈った。桜の花々を見て
いるだけでどうしてこんなにも心が安らぐのだろうか。生きていることのせつなさや愛おしさを実感してしまうのは
何故だろうか。それは桜があまりにも正直に、生命の輝きを見せてくれるからではないだろうか。 自然の摂理の
ままに、なにものにも臆せず、媚びず、ありのままの姿で私達の前に現れる桜の花々は、「生きていくことに何の
装いも繕いも必要ないのだよ!ありのままでいいのだよ!」と語りかけているような気がする。
                                                        (Osamu)

2月27日(月)
 元気だった母は入院を契機に少しずつ生気を失っていった。「家にいるのが一番くつろぐねぇ」と笑っていた
母にとって、その家から引き離されたショックは計り知れないものだったに違いない。看護師に支えられ見送りに
出てきた母の寂しげな姿が今も心に焼きついている。 「治療のためだったんだ・・・」私はそんなつぶやきを
あの時からずっと言い続けているような気がする。 誰からも責められなかったが、それが私を苦しめた。 
「充分にがんばってきたよ」 「病気だから仕方ないじゃないか」・・・。 周囲からの慰めや労いの言葉を受け
取る度に、罪悪感というムチで自分自身を打ち据えた。 母は大好きだったバラの花が咲く頃、突然に逝った。
私は詫びることも、別れを告げることもできなかった。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 それから数年が経ったバラの季節に私は母と再会した。プレイバックシアターのステージでのことだ。しかし、
私が語ったストーリーは幼い私が母に抱かれあやされるという場面であった。 その後も演じられた出来事は、
母に守られ愛される体験の数々である。母との死別体験は語れなかった。おそらく心に刺さった棘だったの
だろう。触れることさえ痛かった。 多くのストーリーを体験したある日、不思議なことが起こった。ある青年が
母の役を演じたときのことだ。「最後はちょっと寂しい思いもしたけど・・・幸せだったよ。ありがとうね・・・」という
台詞を言ったのだ。その瞬間、母の存在を感じた。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 阪神・淡路大震災では、突然の死別体験が多くの人々に癒しがたい心の傷を残したという。重大な事故や
事件でなくとも、身近な人の死は大きな喪失感や悲嘆を招く場合が多い。 欧米の在宅ホスピスなどのプロ
グラムでは、残された遺族へのグリーフケア(死別体験を乗り越えるケア)が組み込まれているというが、
プレイバックシアターにはその潜在的な可能性があるのではないかと思う。 それはプレイバックシアターが
芸術的な舞台を創るだけではなく、他者の悲しみや苦しみを精一杯に受け止めようとする役者や参加者が
存在し、共により良く生きていこうとするコミュニティーが、その場に創り出されるからではないだろうか。 
「台詞は上の方から降りてきた感じだったよ・・・」その青年は淡々と語った。思わず唾を飲み込んだ。
間違いない、母は確かに天国から降りて来たのだ。
                                                   (Osamu)
2006年
1月31日(火)
 新しい年が始まった。 年の初めに懐かしい青年期のエピソードをサイコドラマにより再現していただく
機会を得た。当時のセピアカラーの情景が次々と眼の前で色付けされていく。 封印されていた記憶が
時空を超えて今この瞬間によみがえる。 監督の芸術的な表現手法と役者の卓越した演技力により、
まるでタイムスリップを体験しているかのような気分に浸った。 不思議なことに終わった後からも次々と
洪水のようにドラマの続編が湧き出し続けている。そのプロセスの中で新たに気がつくことも多い。
 記憶のズレや勘違いに思わず息を呑むこともある。「そうだったのか…」大きな気づきの前に心の深遠な
部分が沈黙をする。 血潮が全身を包むように静かに遡っていった。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 人は誰でも持って生まれた気質(特性、傾向)がある。 これを長所として見るか短所として見るかで、
人生の展開は大きく変わっていく。 大切なことは事実に眼を背けず受け止め、その後の人生に上手く
活用しようと努力していくことではないだろうか。 私はどのような気質を持っているのだろうか。 
 それは一言では表現しきれないが、その多くをサイコドラマは教えてくれている。 主役体験を繰り返し
重ねてきたことで、私は気質ばかりではなく、私がこの人生で成し遂げようとしている独自の課題にも
気がつき始めている。 それは私が幼い頃から追い求めている青い鳥との出会いのレッスンそのもの
なのかも知れない。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 青年期より、どちらかというと否定的な思いで見つめ続けてきたこの気質を、これからは天から与えられた
特別な才能として受け取ることにしよう。 私のユニークな長所として上手く使いこなしていこう。 今まで
大きな遠回りをしてきたのかも知れないが、この時期に気づいた価値は大きい。 心のスイッチが切り替わっ
たようだ。眼に映るすべてが新しく見える。あの場に立ち会って頂いた経験豊富なサイコドラマティストの
諸先輩方には心から感謝を申し上げたい。
                                                      (Osamu)

12月31日(土)
 2005年もまもなく終わろうとしている。今年一年もいろいろな集いに参加した。国際フォーラムや学会、
クリニックのワークショップやインプロ、ダンス、メンタルヘルスやヨガ等々、様々な研修やトレーニングの
場に身を置いてきた。もちろんマグノリアにおいても、サイコドラマやPT、インプロのワークショップなども
定期的に行ってきた。手作りの危なっかしい運営にもかかわらず、多くの仲間や友人に支えていただいた。
マグノリアの趣旨に賛同して参加してくれた皆さんには心から感謝を申し上げたい。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
今年もたくさんの人々との出会いがあった。ひとり一人との出会いの中で多くの気づきと洞察を与えられた。
様々な環境や多様な価値観や理念を持つ人々と出会うとき、他者との出会いとは新たな自己に出会うこと
なのだと痛切に思う。
多くの人々との交流の中で学び得るものは大きい。他者と向き合う中で生まれるものは肯定的なものばかり
ではないだろう。相手の振る舞いに疑問や葛藤を覚えることも多い。私の場合は集団の中でそれがよく起こる。
個人的には友好的な関係である人の他者に対する振る舞いが、時に理不尽と感じてしまうことがあるのだ。
そんな時、私は無意識に行う自分の意外な振る舞いに気づき、驚きを覚えることがある。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
70年代より身体の在り方に取り組む演出家・竹内敏晴氏が主宰する「からだ」と「ことば」のレッスンという
ワークショップがある。年末に受講の機会を得た。 その中で行われる「出会いのレッスン」はまさに他者との
出会いから自分に気づくといったワークだ。演技の基本訓練を応用したこのレッスンは、人と人が向き合い
出会う様々な「在り方」の意味を問いかける。 日常の社会的な役割を一度脇に置くこと、あるいは自己の信じる
価値観や信念を手放して人と向き合うことがいかに難しいかをあらためて知った。
まだまだ修行の足りない身上である。2006年は「本質的な洞察力」と出会うために、勇気を持って第一歩を
踏み出したいと思う。
                                                    (Osamu)

11月30日(水)
  「感動を呼ぶステージを創り出すためにはどのように取り組めば良いのか・・・」日本のPT創成期の
リーダー達がこの問いかけを始めて10年は経っただろうか。 この間、新しいリーダー達が次々と生まれ、
個性あふれるステージを創り出しているが、この自己への問いかけは今も変わらないのだろうか。
 私もこれまでアクターやミュージシャン、あるいはコンダクターとして、未熟さを感じながらも様々なステージに
立ってきた。心が震えたり身体がフリーズしてしまったことも何度となく体験してきた。高揚感と挫折感を繰り
返す度に、PTの奥の深さと極めることの難しさを痛感させられる日々だった。
 とにかくPTは難しい。特にワークショップにおけるファシリテーターというグループの進行役は、ハイレベルの
能力が求められる。 ここで言う「能力」とは手法におけるスキル、技術のことではない。技術を操る人間性、
最近の言葉で言えば人間力というものだろうか。 PT創始者ジョナサン・フォックス氏は、PTをもっとも上手く
行うためには、芸術性、社会性、リチュアルという3つの分野における能力のバランスが必要であると言ったが、
現場でこれを実践することはとてつもなく難しいのだ。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 グループの状態は常にファシリテーターのあり方に影響を受ける。例えば、ファシリテーターが緊張していれば、
その緊張感がグループにも伝わっていく。 ここでファシリテーターはどうすべきか?私の尊敬するリーダー達の
多くが「グループへ正直に伝えること」が緊張を解く鍵だと述べている。
 「私は今すごく緊張して胸がドキドキしています。」という一言でファシリテーター自身もホッとする。その姿を見て
いた参加者も緊張が緩み笑顔になる。その場にいた私自身もリラックスしたことをよく覚えている。 
 正直であるということ・・・この意義は大きい。このスタンスが参加者のファシリテーターへの信頼感につながり、
参加者自身も真摯に取り組んでいこうとする自発性を促すのだ。ファシリテーターが気持ちを隠し、何事もないように
プログラムを進行させることはできるだろう。 しかしそれは真実から学ぼうとする意欲をそぎ落とし、PTの形骸化を
招く恐れがあるのだ。何故ならPTは人間の微妙な気持ちや感情というものを扱う繊細な手法だから、参加者は
極めて注意深くなり、すぐには理解できなくとも直感的に真実を見抜いてしまうからである。
                  ◇◇◇      ◇◇◇
 私はPTを「自己の至らなさに気づく手法」であると考えている。芸術的センスや人間力を持ち合わせていないと
PTのファシリテーターは困難を極めるだろう。しかし、視点を変えれば「現実の未完成な姿を映し出し、自己の
成長の課題を指し示してくれる手法」であると受け取れはしないだろうか。
 「誰でも完全であることは難しい。私達はお互いに不完全であることを認めましょう。そして完全を目指して学び
続けましょう。」ジョナサン氏がリーダーシップについて語った言葉が今も心に響いている。
                                                     (Osamu)

10月31日(月)
「人生はチョコレートボックスのようなものです。あなたの好きなものから選んで味わってみてください。」
自分の中の様々な感情や気持ちに戸惑う女性に、マックスは微笑みながらやさしく語りかけた。
そう、これなんだよね・・・と私は思わずつぶやいた。言葉にならない高ぶりや情動に困惑してしまう
体験は私にも数え切れないほどある。「あの時、先生がこんなふうに語ってくれていたら・・・」マックスの
穏やかな眼差しを見つめながら、遠い昔の子ども時代を振り返っていた私がいた。
マックスのその何気ない言葉は、サイコドラマの技術的なアドバイスというよりも、私が私らしく生きていく
ためのメッセージのようだ。その言葉が意味することは特別なことではない。ごく当たり前の教訓だと思う。
しかし、このごく当たり前のことが時として難しくなるから苦しいのだ。
                   ◇◇◇      ◇◇◇
 凡人の私でもそれなりに生きていると予想外の出来事に出会うことがある。充分な準備を行ったにもかかわらず
思いもよらない結果に直面したときは、やはり戸惑う。ときには成す術もなく立ち往生する事も多い。
それでは、めまぐるしく変化する世の中や自分の周りの出来事に惑わされず、本来のありのままの自分自身で
いるにはどうしたら良いのだろうか。
「一番大切なことは自分のことを心配しないことです。」そう、自分を信じて進むことだとマックスは言う。
「進んで前に出る、旨くいかない、やり方を変えてみる・・・すべては私を成長させるためにあると信じて
前進することが大事なのです。」環境を変えることは難しい。しかし自分自身のやり方で少しずつ前に進むことは
確かに出来る。予想が外れたら違うやり方でまたチャレンジしてみなさいと微笑みながらマックスは言うのだ。
                   ◇◇◇      ◇◇◇
マックスに今年も会えた。サイコドラマの巨匠は相変わらず穏やかなたたずまいと共に、まさにマイスターという
風格と威厳に包まれていた。
「誰もあなたを拒否しません。だから、あなたも自分を拒否しないでください。」・・・。そのなにげない
ソフトな語り口は、その場にいる人々の心に大きな安らぎと勇気を与えていたに違いない。
私はマックスからサイコドラマの技術を学ぶというよりも、人間としてのあり方を深く学んでいる気がする。
                                                       (Osamu)
 
9月23日(金)
 『新学期が始まったある小学校に一人の女性教師が赴任する。教師の名はアクツ・マヤ。6年3組
の担任となったマヤは、開口一番、今後はテストの成績順で雑用係りを決めると宣言する。威圧的な
言動と容赦のないアメとムチのクラス運営に子ども達は慄然とする。 生徒ひとり一人の弱みを握り
懐柔しようとするマヤ。必死にもがき抵抗する子ども達。困惑と期待に翻弄される親。いぶかしげな
同僚教師達。 しかし、そこには子ども達の可能性を信じ、ゆるぎない信念で教育に取り組む教師マヤの
もうひとつの姿があった・・・』
 この夏はこのドラマにハマった。NTV系土曜9時から放映していた「女王の教室」だ。インパクトのある
ドラマに仕上げるためだろうか、極端な演出で首を傾げるシーンもあったが、子ども達はもちろん世の大人
達に対しても、社会のあり方やどう生きるべきか等の問題を逆説的に提起したのではないかと思う。
                    ◇◇◇      ◇◇◇
 葛藤は時には変革へのエネルギーを生み出すのだろうか。それまで自分本位で、勇気も根気も人に対する
気遣いも持てずにいた子供達が、マヤに対抗することで自ら奮い立たせていくのだ。様々な軋轢を乗り越え、
互いを信じ友情の絆を深めていった6年3組は、自らの気づきを堂々と主張するまでに成長していくのである。
 「教育は奇跡を起こす」とマヤは言ったが、それは集団の力が大きく働くことで生まれる奇跡ではないかと
思う。困難が大きければ大きいほど、集団は揺さぶられ決断を迫られる。より良い解決方法を生み出したいと
する集団の自助作用の中で、ひとり一人のあり方が問われ、個人もまた奇跡の成長を遂げるのだろう。
                    ◇◇◇      ◇◇◇
 その奇跡を起こすためにリーダーたる教師は非情なまでに自己を律していく。しかしその隠された胸の内は
熱く真摯な思いで満たされていた。 同僚教師に教室から追い立てられる最終回のシーンで、マヤは子供達に
訴える。 「今を見つめなさい。全身で感じなさい。今しか出来ないことを一生懸命やりなさい。今しか出来ない
ことは一杯あるのです!」 その言葉は今の世の有り様に対する象徴的なメッセージであるのだろう。そして
それは「今この場で、この瞬間に」最善を尽くすことが求められる即興表現者への問いかけのような気がした。
                                                    (Osamu)

8月14日(日)
 心身を健やかに育むことを目的とした子どもキャンプに今年も同行した。キャンプ独特の趣向を凝らした
様々なプログラムは大人が見ていても心がわくわくする楽しさがある。その中でもひときわ盛り上がるのが
キャンプファイヤーではなかろうか。
                   ◇◇◇      ◇◇◇
キャンプファイヤーは日頃忘れがちな厳粛な想い、畏敬の念へと人々を誘う。燃えさかる炎を黙って見つめる
参加者達。キャンプリーダーはおもむろに、人類の進化や宇宙とのつながりなどコスモロジー的な話を展開
するが、なぜかこの場にふさわしい話題と映るのはなぜだろう。 日頃システマチックな社会に埋没している
私たちは、ときに神話的な世界観に郷愁を覚えるからかも知れない。 燃えさかる炎のゆらぎを見ていると、
身体が宇宙と一体化していくような感覚になるから不思議だ。 はるか昔の私たちの祖先の人々も同じ想いで
この炎を見続けていたのだろうか。
                   ◇◇◇      ◇◇◇
ワークショップが作り出す雰囲気はこのキャンプファイヤーによく似ている。 その場に集う人それぞれが、
見つめ合い、語り合う中で交流を深めていく。互いの距離が狭まっていく過程で、人との関わり方に厳粛な
態度が芽生えていくのではないだろうか。 誰かが自分に起きた出来事や体験などを語り始めると、周りの
人々は静かに耳を傾ける。やがて個人の物語はその場の人々の共有した普遍的物語へと変貌していくのだ。
                   ◇◇◇      ◇◇◇
キャンプファイヤーの輪に中にいると、純粋な情熱や夢を抱き続けていた頃を思い出す。 「さようなら〜!」
キャンプリーダーの叫び声と共に、眩いばかりの光を放っていた炎もやがて漆黒の闇の中に消えていった。
                                                    (Osamu)

7月24日(日)
 PTやサイコドラマに参加していつも思うことがある。「心の安らぎを得ること」…そのことは人生の
大きな目的のひとつであろう。 日々の出来事は風のように過ぎ去っていく。そこには様々な喜びや
悲しみ、葛藤などの想いが残されるが消え去ることはない。時が経つほど強い感情を伴う想いは鮮明な
色合いを増してくることもある。だから私達は過去と向き合う必要性が生まれるのではないだろうか。
                   ◇◇◇      ◇◇◇
人生の行路が順風満帆の時、人は過去を振り返る必然性を感じたりはしないだろう。その余裕すらないの
かも知れない。 しかし、未解決の過去の問題や表出することなく閉じ込められてきた感情は、ふとした
きっかけで現在に投影されることがある。
PTやサイコドラマなどの手法を展開している過程で、多くの人が不思議な体験をする。それは他者の語る
物語りを演じているうちに、ふいに心が過去の自分の様々な悲しみや葛藤の中に飛び込んでしまうという
のだ。 私自身も何度となく体験したこの感覚は、人間関係における体験の違いを越えた大きな共通点を
浮き彫りにする。それは多くの場合、「私が抱え続ける問題はこのドラマの中にも存在するのだ」ということ
ではないだろうか。私達は日々の出来事の中で生み出した悲しみや葛藤を、その場では解決しきれずに
心の奥深くへ積み残しながら生きている。
                   ◇◇◇      ◇◇◇
それでは「心の安らぎ」はどのようにしたら得られるのだろうか。それはもちろん簡単に答えの出る問いでは
ない。しかしひとつの答えがPTやサイコドラマには存在する。 それは「自己や他者のできごとをありのまま
に受け止め合う」ということである。 話を聞き演じるという行為が、演じる当事者にとっても自己の問題と
向き合う機会となり、他者に対し寛容と慈愛の精神を育むのだろうか。それは結果としてその場に肯定的な
一体感を作り出していく。 「表現する」という形の援助の手が互いに差し伸べられる瞬間、私たちは深い共感
を得て、純粋な喜びと心の安らぎに包まれるのだ。
                                                       (Takako)

6月30日(木)
 PTは人の心と心を繋げる手法と言われている。しかし果たしてそれはどこまで真実なのであろうか。
確かにPTは人と人が心から尊重し合うことや、慈しみをもって人に係わることの意義を提示している。
しかし、問題はこの手法を使う私達の心の在り方だろう。 慈しみを持って人に係わろうとする私達も、
一方で様々な葛藤を抱える人間であるからだ。 様々な思いが交錯し問題に直面するとき、私達は
どこまで自分に正直になれるだろうか。 PTの舞台に立つ度に、心の在り方を試されているように
感じるのは私だけなのだろうか。
                   ◇◇◇      ◇◇◇
世の中には人間関係の改善についての様々な教訓や教えがあるが、「まず是非を問わずに分かち
合うことが大切なんだよ」とPTは教えてくれている。 葛藤を伴う人間関係は、相当の覚悟と勇気が
いるだろう。しかし、PTに集う私達は非難や争うことを目的とはしていない。理解し合い、分かち合う
ことを目指しているのだ。
どのような状況であっても、企むことを止め、まず相手の気持ちを汲むというところから始める。これが
原則だと思う。このことが疎かになると、どんなに正論を述べても分かち合うことにはならず、問題の
解決が難しくなってしまうことだろう。
                   ◇◇◇      ◇◇◇
PTを始める直前にいつも思うことがある。 「私はこの場にどれだけの善意を生み出すことができるだ
ろうか」と。その場に集う人々が、人間の潜在的な善意と、その可能性を心から信じることができたなら、
私達はもっと容易く人間関係のトラブルを解決できるのではないだろうか。
私達はひとり一人が異なる個性的な存在だから、分かち合い係わり合う価値がある。そもそもこの世界は
多種多様な文化により成り立っているのだ。 私達は様々な価値観や認識の違いがあるからこそ、理解し
合い共通性を見出そうとするのかも知れない。隠された思いを受け止めることは容易ではないだろう。
しかしそこから気づき、成長することができるのもPTの大きな可能性だと思う。
                                                  (Osamu)
                  
5月25日(水)
 JAMAのサイコドラマ・ワークショップに参加した。JAMAとは集団心理療法としてのサイコドラマを長年に渡り
研究、実践しているグループである。一泊二日ではあったが、とても充実した体験となった。参加者は臨床の
専門家やカウンセラー、サラリーマンや主婦など多彩だ。参加目的もサイコドラマのスキルアップであったり、
自己成長のためであったりと様々である。スタート時は緊張のためか、周囲と距離を置いていた参加者も、
ドラマの迫力と仲間の真剣なサポートに自らも自発的な援助者として立っていく。ここには他者の問題解決に
気遣いながら援助していくというケアの原点がある。
                    ◇◇◇      ◇◇◇
サイコドラマは、通常「ウォームアップ」「アクション」「シェアリング」という三つの過程があるが、初めて会う人
同士が多い場合は緊張を解くための「ウォームアップ」が重要だ。スタート時、ディレクターはお互いを知るための
ワークや小グループでのディスカッションなどを行った。そして小グループがお互いの感情を語り合えるように、
常にアドバイスしていたように思う。「アクション」とは、主役を選び、その個人にスポットを当てるドラマの展開
の部分である。そして最後にはドラマの体験をどのように受け止めたかなどを参加者全員で分かち合うのが
「シェアリング」だ。サイコドラマは何かを変容させていく力がある。それは個人にとっても集団にとっても大きな
気づきと価値を生む体験と言えよう。ドラマが展開していく過程で、時には自分自身や社会の問題や課題に気
づいたり、人生の真実に近づこうとすることなのかも知れない。
                    ◇◇◇      ◇◇◇
ワークショップ終了時、会場は皆の喜びと感謝の言葉であふれた。グループのひとり一人が援助し援助される
という関係が、個人はもちろん集団自体もエンパワーされ、成長の糧を与えてくれる。昨今、介護問題などで
ケアの本質が問われる時代だが、それはただ一方的に援助することではないと私は思う。
サイコドラマには「いかに生きていくか」という問いかけと、「援助することがエンパワーされること」という実証の
プロセスがある。それは様々な立場からの視点と、それを受け止める寛容な精神がそこに存在するからこそ、
私たちは深く気づくことができるのである。
                                                        (Osamu)

4月13日(水)
 車椅子生活を余儀なくされた晩年の父はとても饒舌であった。これまでの人生を懐かしく振り返りながら、
思い出の数々を語ってくれた。それは関東大震災の記憶から、世界恐慌を経て、戦中、戦後の混乱と復興、
そして高度経済成長など、その時代のエッセンスを網羅した近代日本の物語でもあった。おそらく人生の
終焉を予感していたであろう父は、「困難もあったがそれなりに楽しく生きてきたよ」と微笑んだ。
個人の出来事も語り綴ればひとつの壮大な物語となる。ひとつひとつのエピソードの中には、その人生の
意味を知る重要な手がかりが隠されているように思う。
                     ◇◇◇      ◇◇◇
人は鏡とよく言われるが、他者のドラマを通して気づかされることは多い。ドラマが展開される過程で本人も
気づかないうちに、隠されていた本質的な課題がクローズアップされてくるのだ。しかしワークショップの中で
よく思うことがある。「人は分かち合いたい気持ちがあっても、決心がつかないと真実はなかなか語れない
ものなのだ」と。
過去の傷ついた体験が癒えず抱え続けている人がいる。過去の出来事として済まそうとしても乗り越えら
れない人がいる。過ちを詫びることができず立ち往生する人がいる。たとえ隠されていたものが見えても、
それを受け止めるか否かは、その人自身が決めることであろう。他者が語り手の援助としてできること、
それは役割演技を通して、その人の人生そのものを受容することに他ならない。
                     ◇◇◇      ◇◇◇
私は父の人生ドラマの数々をまるごと受け止めようと努めた。迫りくる死の現実感を受け入れるには、良いも
悪いも含めたこれまでの人生を、傍らにいる者が受け止める必要がある、そう思ったからだ。
父の人生のエッセンスとは何だったのだろうか。毎年、父の命日を迎える度にふと考えている自分がいる。
                                                   (Osamu)

3月27日(日)
プレイバックシアター(PT)の友人と久しぶりに内省研修を受講した。
内省とは波場武嗣という教育実践家が、内観療法や森田療法を研究し
自分自身をより深く見つめられるようにアレンジしたもので、一言で表現すれば「幸せになるために
幸せを感じる力を育てる」ということだろうか。それは「人間は勝手に生きているのではなく、
生かされて生きる命なのだ」ということを体感するために、自らの人生を振り返り、そこに感謝と侘びと
学びを見出すことを主題としている。
波場氏は70年代後半より「生き方を問う」意識教育活動を展開してきた。当時は既に、家庭内暴力や非行、
登校拒否等が社会問題となり、波場氏の研修所には多くの困り果てた家族が駆け込んできたという。
現在も全国から波場氏を頼って、信州穂高の研修所を訪れる人々が後を断たない。
                     ◇◇◇      ◇◇◇
私は10年前、家族の紹介で内省を知り、その過程で内省とPTの共通性を感じた。そこで数年前に友人
と共にPTを紹介したが、PTと内省が補完し合える関係性にあるのではないかと思った。波場氏も内省の
発展に良い影響があると感じたようだった。
波場氏の長年の研究によれば、人の記憶に残る印象的な出来事の中に、その人の生き方を決定
付けている象徴的な事象が発見できる。そして、その一つ一つの場面を詳しく見ていけば、その人の
人生の課題もまた明らかになっていくが、PTは場面をより立体的に見せてくれると波場氏は言う。
そもそも、トラウマ(心的外傷体験)がその後の人生に大きな影響を与えることはよく言われることだ。
しかし、幼少期の体験というものは、本人もよく理解していないことや思い込みであったり事実誤認の
場合も多い。内省はそこに焦点を当てる、あるいはアングルを変えた視点で、もうひとつの真実(こんな
ふうにも受け取れるよね?という見方)を見せてくれるのだ。この見せ方は人に大きな気づきを促す。
                     ◇◇◇      ◇◇◇
3日間の内省研修は、私に多くの気づきを与えた。私の様々な否定的な体験は、未成熟な私が本来
の私自身になるために用意されているハードルのようなものだった。それは避けても再び巡ってくる。
過去にPTで再現された自分のストーリーを振り返ると、そこには、やはり成長を促す根源的な問いかけ
があるように思う。今回の内省はそのことの意味を深く示唆する貴重な機会となった。
                                              (Osamu)

 2月13日(日)
 PTのワークショップでは、参加者がお互いにニックネーム(愛称)で呼び合うことが多い。それは
幼い頃のあだ名でも良いし、現在のものでももちろんかまわない。この愛称は「PTネーム」と呼ばれ、
参加者同士が早く打ち解け合うために行なわれている。マスコミ業界などでよく「○○ちゃん!」と
呼び合うといわれるのも、「子供心をくすぐる」ことで、緊張感を取り去り、グループの仲間意識を
高めるためなのかも知れない。
 しかしPTでは、この愛称で呼び合うことには、もうひとつの重要な意味がある。名前はその人の
歴史そのものを体現するといわれている。試みに仲間から、小さい頃に呼ばれた愛称で呼んで
もらい、どんな感じがするか味わってみると良いだろう。「○○ちゃん!」と呼ばれた瞬間、その時の
時代にタイムスリップするのは、きっと私だけではないだろう。
 PTの舞台では、幼い頃の記憶の一つ一つが鮮やかに甦ってくる。空の青さや太陽の光の眩しさ。
通学路にあった水溜りや遠くの町並み。お母さんやお父さんの笑顔や立ち振る舞い。兄弟や友人の
歓声。図書館の本の背表紙や柱時計が刻む音・・・。思い出を紐とく過程で、様々な心象風景が浮か
んでくる。庭に咲いた花々の鮮やかな色艶や、その時に嗅いだ香りまで思い出した人もいるという。
                     ◇◇◇      ◇◇◇
 PTで再現される自分のストーリーを、長年に渡って見続けてきて分かったことがある。私の幼少
期は本当に幸福であったと思う。この数々のストーリーを真摯に演じてくれた、PTの仲間たちには
心から感謝している。 これからは今まで以上に与える人になりたいと思う。そんな意味を込めて、
昨年から愛称を「マイケル」と変更した。これは私が初めて即興で演じたマイケル・ジャクソンから
頂いた「PTネーム」である。その時、その場にいた多くの方々から、「勇気をもらった、ありがとう!」
と感謝の言葉をたくさんもらった。今後もさらに修行を積み、人々を勇気づける精神と技能を持って、
PTをやり続けたいと思う。
                     ◇◇◇      ◇◇◇
 まだ「PTネーム」がはっきり決まっていない方にはぜひお勧めしたいと思う。5歳から10歳位の頃
に呼ばれていた愛称を思い出し、しばらくの間、その名で呼ばれてみると良いだろう。
 よく小さい頃のことはよく覚えていないといわれる方もいるが、仲間から愛称で呼ばれている間に、
幼い頃の出来事が、少しずつ思い出されてくることだろう。それは、愛しい人々、懐かしい人々との
時空を超えた邂逅ともいえる瞬間なのである。
                                               (Osamu)
2005年
 1月26日(水)
 スマトラ島沖地震と津波の発生から1ヶ月。その甚大な被害には言葉を失う。今日付の新聞
では、被災12カ国の死者は15万人、行方不明者は14万6千人を超えるという。自分には何が
できるのか、今日も心に問いかけている。被災された方々には心からご冥福を祈りたい。
                     ◇◇◇     ◇◇◇
 社会から見放され孤立化している人々を、共に社会を構成する仲間として受け入れようとする
「ソーシャル・インクルージョン」という概念が注目されている。世界のグローバル化は、新しい文化
の創造と国際的な交流を大きく飛躍させた一方で、新たな貧富の格差と国家間や民族間の紛争を
増幅させ、人々の固有の社会様式や生活環境を大きく変貌させた。EU統合の流れの中で、世界
標準の仕組みが協議され、政策上の理念として提起されたのが「ソーシャル・インクルージョン」とい
われている。 社会の底辺に生きる人々の社会的な救済を促し、個人の尊厳や人々のつながりを
再構築しようとするこの概念は、プレイバックシアターの「少数の人、孤立した人の声に耳を傾けよう」という
理念に通じるものがある。
                     ◇◇◇     ◇◇◇
 PTでは「誰もが批判されずに平等に語ることができる」場を提供する。それは少数の声に
耳を傾けることを促す分かち合いの場でもあると言われる。コミュニティーの中では、ともすると、かき消さ
れてしまいがちな少数の声を、「今、ここで」聴くことの意味を観客に投げかける。
 PTの演じられるその場は、真実と向き合う姿勢を維持し、参加者が真摯に受け止めようとする
ならば、「ソーシャル・インクルージョン」はそこに成り立つ可能性がある。そして、それは時として
社会からの分離感を和らげ、「誰かと繋がる」という感覚を、舞台を通して体験できる場にもなる
かもしれない。
                                              (Takako)

 12月10日(金)
 かつてプレイバックシアターは「演劇かセラピーか」という論議があった。創始者のジョナサン氏によれば、舞台劇と
して見せる過程があり、なおかつセラピー効果があるのも事実である。よってPTは両者の性質を
合わせ持つ手法であり、提供の仕方でいかようにも定義できるであろう。という主旨の意見を述べ
ている。これは今ではPT実践者の多くが同意する見解となっている。
                      ◇◇◇     ◇◇◇
 さて、PTの説明的な名称を考えてみた。「演劇手法を用いた芸術的要素の高い心理療法」あるいは、
「心理療法的な展開を伴う舞台演劇」などという表現はどうだろうか。言い方はいろいろあって良い
と思う。これまで日本になかった手法であることには違いない。「演劇でもありセラピーでもある」との
見解に立つならば、PTの実施方法、形態はどうであれ、この異なる分野の総合的な学習が重要に
なってくる。プロの役者にとっても、心理の専門家にとっても、PTは未知の分野になるからだ。
                      ◇◇◇     ◇◇◇
 実際に多様な分野の専門家の方々の参加によって、手軽に実施できるPTが、実は高度なインテリ
ジェンスと多種多様なスキルが要求される手法であることも明らかになってきた。
 初めて体験する人は「演劇」とも「セラピー」とも判別が難しいことに戸惑うことも多いと聞く。できる
限り不安感を取り除き、居心地の良い環境で提供することが、PTを実践する者の社会的な責任では
ないだろうか。そのための研鑽と謙虚な姿勢が私たちに求められている。
                                                 (Osamu)

11月17日(水)
 円形に並べられたイスに座って待つ参加者。多くの人が緊張した面持ちだ。そこへ満面の笑み
を浮かべた紳士が登場した。「ハロー」と言いながら一人一人と握手を交わしていく。参加者の表情
が徐々に緩む。会場の雰囲気がだんだんと和らいでいく・・・。サイコドラマ界の巨匠、マックス・クレ
イトン氏のワークショップは、リラックスすること、リラックス空間を作ることがいかに大切かを教えてくれる。
                     ◇◇◇     ◇◇◇
 未知の体験は誰もが不安を覚えるものだ。誰に出会うのか、何が起こるのか。 そこに待ち受けて
いる不測の事態に備えて、人は心身共に緊張感を高めていく。マックス氏は人に援助する心構え
として次のように述べた。「人の能力を引き出すには、あなたが自発性を発揮することです。自発性は
リラックスすることで生まれます。私がこれまで何千時間も学んだこと、それはリラックスすることでした。
あなたがリラックスしていることが大事なのです。」
                     ◇◇◇     ◇◇◇
 緊張することは一般的にあまり良いイメージではないが、適度な緊張感は必要だと思う。その場が
真摯な場であればあるほど、ほどよい緊張感は個人やグループの集中力を高める。しかし、過度な
緊張はチャレンジしてみようとする気持ちにブレーキを掛けはしないだろうか。人は行動を起こす前に
準備をする。この準備がウォームアップであり、ウォームアップとは心身の緊張を解くことなんだと
改めて思う。まず自分自身がリラックスする。そして笑顔で関わっていく。人と人の繋がりとは、そんな
ところから生まれるのかも知れない。
                                                  (Osamu)

10月15日(金)
 PTの場で語られる個人の体験や思いは「批判や分析無しに演じられること」が重要なルール
となっている。常に肯定的な雰囲気が保たれることが大切なのだ。テラーは自分の話が引き立て
られて劇になったことや、アクターが真摯に演じてくれたことで感激し、観客もまた自らの体験の
ように胸を熱くする。公演やイベント等で生まれるこのPT独特の高揚感、一体感は、個人をどこま
でも尊重しようとするその精神の顕れなのかも知れない。
                     ◇◇◇     ◇◇◇
それではテラーとアクターの関係性が深くなるグループの場合はどうだろうか。常にお互いの
ストーリーを分かち合い演じ合う仲では、親密な関係になる一方で、意見の食い違いや気持ちの
すれ違いも起こるだろう。そのような時にこそ、「平等に語る機会があること」や「批判や分析無し
に演じられること」が重要になってくる。しかし、グループの中で孤立し、ストーリーにも出せない
葛藤があるとき、グループはどのような対応を取るべきなのだろうか。 
                     ◇◇◇     ◇◇◇
 人と人が係わることの正解はないだろう。難しいハードルだが、それぞれが自分に正直になる
こと、他者に対して寛容になることが解決への第一歩ではないだろうか。「お互いを心から受け
入れることができますか?」私たちはPTからそんな問いを投げられているのではないだろうか。
                                             (Osamu) 

9月8日(水)
プレイバックシアター(PT)の舞台で語られるストーリーは、ごくありふれた出来事であることが多い。
朝食での家族との会話、通勤電車の風景、職場での仕事のこと等、ごく普通の市民社会に暮らす人々の日
常を彩るストーリーである。普段から演劇とは無縁の人々が演じられる理由はこの辺にある
のだろう。
市民生活を送る人々が自らを語り、時として演技者として舞台に立つ。互いが類似的な体験
をしているからこそ、共感も深まり、慈愛に満ちた演技にも発展する。たとえそれが稚拙であっ
ても、精一杯の演技は胸を打つ。他の人が体験した喜びや悲しみを心から受け止めるとき、
テラーだけではなく、アクター自身も内的な平安に包まれる。ジョナサンが言っていたコミュニ
ティーの中から舞台に立ち、再びコミュニティーに帰っていくという、夕日のガンマンのような
アクターに私はなりたい。
                                            (Osamu)

8月29日(日)
 先週の日曜日、大和高田でお呼ばれ公演に出演した。久々のコンダクターだったが、はた
してストーリーを紡ぎ出すことはできたのだろうか。終わってみて、あれを聞いていない、これ
をやらなかった等の反省点ばかりが浮かんでくる。その後で読んだアンケートの中で次のよう
な記載があった。「あなたの興味からでなく、テラーの気持ちに寄り添ってインタビューをしてい
た云々」と。これは合格点の証明か?いやいや「次も頑張れよ!」というエールに他ならない。
そしてこのことは、何より真摯な態度でテラーに寄り添っていたアクター、ミュージシャンのおか
げでもある。
 今回はPTのグループを超えた繋がりによってパフォーマンス・チームを組んだ。私はPTをコ
ミュニケーション・ツール、一種の言語のようなものとして捉えている。だからグループを超えた
関係性の中でこそ、PTは輝きを放つのではないかと思っている。トレーニングを積めば公演も
可能になったのである。今後もこのような試みがいろいろな場で広がっていくといいなと思う。
                                            (Osamu)

7月15日(木)
 かつて幼児に絵本等の読み聞かせをしたことがある。そのときのキーワードは「ストーリー
テラーのように語る」であった。慣れない体験に試行錯誤したことを思い出す。
 「コンダクターはストーリーテラーである」とジョナサン・フォクス氏は言った。コンダクターは
物語を創れるセンスが必要だというのだ。しかしストーリーはテラーが語る言葉がすべてでは
ないのか?という疑問が起きる。かつて私はこの問題を考えた時、「ストーリーを紡ぎ出す」
というジョナサンの説明で腑に落ちた。コンダクターは糸車に掛けられた繊維から、糸が紡ぎ
出されるように、テラーから溢れ出る言葉の数々を紡いでいくのだ。もちろんテラーが安心し
て任せられるような注意深さ、繊細さが必要だろう。具体的にいえば場面提示の同意や交渉
を行い、ストーリーを芸術的に仕上げていくプロセスである。
 そう言えば、読み聞かせ体験のときも、幼児の反応を探りながら次第に雰囲気を盛り上げ
ていたなあ。今思えば、あれこそストーリーを紡ぎだす作業そのものであったように気がする。
                                       (Osamu)

6月22日(火)
 マグノリアは、この6月で発足1年を迎えた。早いものだ。立ち上げるにあたり、いろいろと
協力いただいた仲間には本当に感謝している。ここでいう「仲間」とは、私がPTを始めてから
今日に至るまでに出会ったすべての人々のことである。プレイバックシアター(PT)は
とても不思議な手法である。
まず、大人も子供もファンタジーの世界に誘われる。この辺が好き嫌いの分かれ道になるの
かも知れない。ハマる人はとことんハマる。スキルアップをめざし、修行の道を歩み始める。
好きだけどハマらない人もいる。適度な距離を取って楽しんでいるようだ。もちろんOKである。
参加の仕方は自由であるし、楽しみ方も人それぞれだと思う。
 私は、そんなPTにハマる人々、ハマらないけど好きな人々の、自由な交流の場を作りたい
と思った。私はもちろんハマッてしまった一人である。PTはユニークな手法だ。様々な分野で
の活用も実践済みで、将来の可能性を感じる。しかし、だからこそ楽しむだけではなく、PTを
実践する人間のあり方を、仲間達との交流の中で模索できたらいいなと考えている。
                                              (Osamu)

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